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2006年9月29日 (金)

◇ポルブドール遺跡とバリ島への旅(1)

 前回のヨーロッパ人混成のツアーで行った旅行が楽しかったので今回のジョグジャカルタ、バリ島の旅行計画も同じようなツアーに入って行くことにしました。                                                           今回のツアーも前回と同じくらいの少人数でしたが、今回は外務省勤務の日本人夫妻が一組参加していました。                                                                                      ジョグジャカルタのボルボドール遺跡はジャングルの地中から泥にまみれて見つかったということですが驚くほどの大規模な遺跡群です。                                                                                                 何層にも連なる回廊の壁面には釈迦の誕生から入没までの一連の物語が石の壁に彫られています。                                                                                                       また、最上層階には石造りの鳥籠のような中に石仏が安置されている、この鳥籠の隙間から手を伸ばし石仏に触ることが出来たらその人に幸運が訪れるという言い伝えがあります。                                                                                                          私も家内もかろうじて触ることが出来たのでいつか幸運が訪れることを期待しております。                                                                                                          このポルブドールの遺跡に行く道すじにはご多分に漏れずお土産屋がたくさんありインドネシア人の売り子がカモを探している、私にまつわりついた売り子は小学校2,3年生くらいの可愛らしい女の子で、手には15センチほどの小さい銅製の仏像を持って器用な英語で私に買ってくれと言ってくる。                                                                                                       この女の子の説明によると、この仏像はポルブドール遺跡の近くから出土したもので価値があると盛んに説明している。                                                                                      私も根負けして偽物であることを承知の上で言い値の十分の一の値段で買いました。                                                         買った後よく見るとなかなか気品のある良くできた仏像で、私のお気に入りとなり今でも私宅のリビングルームに飾られ良き思い出となっています。

2006年9月27日 (水)

◇マラッカ海峡、K L への旅(2)

 最終目的地の K L に到着前に我が家の愛車のエアコンが故障、暑い国でのクーラー無しのドライブになってしまいました。                                                                                  K L ではオールドモスク、マレーシア鉄道駅などを見学し、次の日には最後の見物地にしていたイポーに向けて出発。                                                                                                   イポーには五本足を持った神聖な牛がいるバツーケーブという山の中にヒンズー寺院があります。                                                                                                     バツーケーブに行くにはセランゴール ピューターで名高いセランゴール州を通りますが、周りは錫の露天掘り鉱山がいたるところにあり、近くを流れる川は鉱山から流れだした汚泥で白濁した水が流れています。                                                                                   話は変わりますが、この錫を掘り出した後の大きな水溜まりに突然発生する魚がいます、この不思議な魚はシンガポールの高級中華料理店で食べたことがありますが、魚の名前は【悪魔の魚(Satan Fish)】と呼ばれ白身のあっさりとした味の魚でした。                                                                              さて、ヒンズー寺院のバツーケーブにいる五本足の牛ですが確かに牛の背中から五本目の足が生えている、足には蹄もついており、恐らく奇形児で生まれた牛と思えますが、ヒンズー教では牛は神聖な動物のため神様に祭り上げられたものと思います。                                                               このバツーケーブ (バツーとはマレー語で石の意味) は麓からケーブルカーで登るのですが、頂上は周りを数十メートルの高さの岩で囲まれた噴火口の様になっています、この噴火口の中にヒンズー寺院があります。                                                                                       楽しかったドライブ旅行も終わり、帰路は予定通り東海岸を走り無事シンガポールに到着しました。                                                                              シンガポールに帰着後、友人のシンガポール人にこのドライブ旅行の話をすると、友人は驚いて私に言ったことは、数年前までは K L にいく街道には夜間に車専門の強盗団が出没していたらしい、道路を丸太などの障害物で塞ぎ数人で襲いかかっていたとのこと、また、特にシンガポール ナンバーの車ばかり狙われていたとのことでした。                                                             知らぬが佛とは私のことかも知れません、事故が無くて何よりでした。

2006年9月25日 (月)

◇マラッカ海峡、K L への旅(1)

 シンガポールでの生活も慣れてきた頃、我が家の家族でマレーシアの K L (クアラルンプル)までの長距離ドライブ旅行を計画しました。                                                                                            旅行にあたり細かい行程は行き当たりばったりで、往路はマラッカ海峡側の西海岸を走り、帰路はティヨマン島 (映画 「南太平洋」 のロケ地で有名な島) のある東海岸で帰る計画を立てました。                                                                                                   出発に先立ち沿線道路地図を買うべく本屋を探したが何処の本屋に行ってもマレーシアの地図は世界地図程度のものしか売っていない、本屋で詳細地図があるか聞いてみたところ詳細地図はマレーシア政府に申請して認可が取れないと買うことが出来ないとのこと、この様な厳重な管理は軍事的な理由らしい。                                                                                この様な制度は戦前の日本と同じで、平和に馴れきった我々には奇異に感じられます。                                   この様な理由でマレーシア全土が出ている世界地図?1枚で K L に向けてシンガポールを出発しました。 (現在はシンガポールから K L まで有料道路が走っています)                                                                                                                マレーシアの国を走ってみるとマレー語の読めない私でもローマ字読みで十分地名は判るし、途中の小さなマレーカンポン (マレーの村) には英語の話せる人もたくさんいたので道順を聞いたところ、皆さん日本人が珍しいのか親切に教えてくれる。                                                                              後はマラッカに向けてひた走りのドライブとなり、道の両側には延々と続くゴム畑かパームオイル畑ばかりの景色が続き、やっと最初の目的地であるマラッカに無事到着しました。                                到着後マラッカ市内を見物して回りましたが、昔、ポルトガルの植民地であった場所だけに西洋と東洋をミックスした情緒ある街並みに心を癒されました。                                                                                    観光の目玉である街の教会、郵便局は建物全体が朱色で塗られており、普通では周りの景色にマッチしないような色ですが不思議と周りの景色に溶け込んでいる。                                                                       海岸通りに出て海賊の出没で有名なマラッカ海峡を通過する大型船舶を見物してしばらくの間砂浜で休憩しました。                                                                                                              この砂浜には日本で飾り物に使っている5センチ丸の平らな貝殻が無数に拾える、これを日本に持ち帰ると立派なお土産になるといいながら夢中で拾いました。                                                      マラッカを出発して K L に向かって走っていると田舎のマレーカンポンにさしかかった、この村落の家は純粋なマレー風の高床式住宅で気候にあった涼しそうな家並みが続いています、また、この村落の真ん中を走っている道路の両側には高さ1.5メートルもある陶器の大瓶が各家に一個の割合で置いてある、何のための瓶かと車を徐行させながら走っていると給水車が各家庭の瓶に水を配っている、水道も完備していないらしい、道路の両側に同じような瓶が延々と続いていている光景は壮観でした。

2006年9月23日 (土)

◇バンコック、パタヤビーチへの旅(2)

 バンコック、パタヤビーチの旅行翌日はバンコック市内いたるところの露天で売っているブランド品 (ルイ・ビトン) の偽物製作工場の見学に出かけました。                                                             まともなルートでは決して見ることの出来ない秘密工場ということで興味しんしんで出かけました、この工場は下町の路地裏に在り、工場の名前も掲げてない小さな町工場で従業員も10数名が薄暗い場所で働いている。                                                                                     そのうち経営者らしい男が本物と偽物のルイ・ビトンの財布を持ってきてどちらが本物であるか当てて見ろといっていたが、まず我々には判断が付かないほど上手く出来ている。                                         この経営者の説明によるとこれらの偽物の財布は本物のルイ・ビトンの大型バックから裁断して作っているので金物以外は本物である?との説明でした。                                                                 恐らく日本人の何人かはこれらの偽物を安く買い後生大事にタンスにしまっている人も居るのではないかと思います。                                                                                                             旅行3日目は歓楽地で有名なパタヤビーチに移動、このパタヤビーチは海岸沿いにある道路の両サイドにオープンカフェー、土産物屋が連なった街で、オープンカフェ内ではキックボクシングなどのショーを楽しむことが出来ます。                                                                                 翌朝はクルージング船をチャーターして楽しみましたが、ここで一番面白かったのが日本では経験できないライフルとピストルの射撃が出来たことです。                                                                    この初体験の射撃に夢中になっているのは日本人の私だけで他のヨーロッパ人、アメリカ人はニコニコしながら私の射撃を見ているだけで誰も参加しません、たぶんお金まで払ってこの様な場所で射撃する興味も無いらしく、つくづく国民性の相違を感じたところです。                                                              さて、この楽しかったクルージングも終わり砂浜でノンビリしていると、一人のタイ人が近づいてきて何か買えと小さな声でささやいている、何かと手の中をよく見ると葉巻の様な形をした大麻である。                                                                                                        シンガポールではご存じの通り、麻薬、大麻の持ち込みはどの様な理由であろうと死刑である、さすがの私もこれだけは手を出さなかった。                                                                                      シンガポールは日本と同じく治安が良いが、タイは非常に治安が悪く街にあるタイ名物のルビーを売っている宝石店などは出入り口は電気錠で施錠されており、お客の人相を見て鍵を開けてくれる仕組みになっています、店主は私の顔を見て鍵を開けてくれましたので私もまともな人相であると安心しました。                                                                                日本の商店でこの様な事をしたらお客は寄りつかないことでしょう。                                                                        友人の話によると、この様な国ですからタイ人は自宅にピストルを所持しているらしい。                                              今回の旅行で一番の思い出は同行者の34歳ぐらいのアメリカ人の女性が私達を気に入ったのか旅行中の自由行動時には何時も行動を共にし、楽しく過ごせたことでした。

2006年9月21日 (木)

◇バンコック、パタヤビーチへの旅(1)

 タイ バンコック、パタヤビーチの旅に家内と中一の長女を連れて行きました。                                                                                   今回の旅行は家族の英語の勉強になるためシンガポールの旅行社に申し込みヨーロッパ人などの混成ツアーに入れてもらいました。                                                                      ツアーの構成人員はイギリス人夫妻が2組、アメリカ人の女性1人、同じく男性が1人、ドイツ人夫妻が1組、中国系シンガポール人夫妻が1組とそれに我が家3人の合計13人のこじんまりとしたツアーでした。                                                                                                     旅行日の朝、全員がチャンギ国際空港に集合し、一路タイに向かって出発しました。                                                                         現地バンコックではマイクロバスで市内観光をし中でも面白かったところを紹介してみますと、現在クーデターでもめているタイ王宮のあるエメラルド寺院、この寺院は黄金で輝いた立派な寺院でさすがに王宮にふさわしい建物でした。                                                                                             タイ人のツアーコンダクターの説明によりますと世界的に有名なミュージカル【王様と私】はタイ国内では上映禁止になっているとのこと、その理由は【王様と私】に出てくる主人公の王子様は (俳優はユル・ブリンナーでした) 現在のタイ国のプミポン国王で現存しているからとの説明でした。                                                                                                                     次の日の早朝に訪れたのがメナム・チャオプラヤ (タイ語でメナムとは川の意味でメナム川との言い方は間違っているそうです) を上っていったところにあるフローティング マーケット(水上市場)、その帰りに訪れたのがワット・ポー(三島由紀夫の小説で有名な暁の寺院)でこれも立派な寺院でした。                                                                               このツアーは、日本のツアーと異なり行程もしごくノンビリしたもので、マイクロバスの中で皆さんに次の行き先の希望を聞いて移動するようなツアーでした。                                                                                                その日の夕食は屋外のバーベキュー パーティーでバラエティーに富んだ各国からの参加者が一同に集まり、各自の自己紹介をした上お国自慢を一人一人が話し夜が更けるまで楽しく過ごせました。 

2006年9月19日 (火)

◇費用150円の海外旅行

 シンガポールでの生活の話もぼつぼつ出尽くしてきましたので、このあたりでシンガポール出発でシンガポール帰着の旅行の話を書いてみたいと思います。

 シンガポール滞在中に気楽に行ける海外旅行を出来るだけ数多く経験しようと思い、最初に計画実行したのが150円の費用で行ける海外旅行でした。                                                                      行き先は隣の国のマレーシア Johor Bahru (ジョホールバルー州)でした。                                                                                                      この旅行はシンガポール赴任直後の単身赴任時代で、シンガポールの市中から料金150円のバスで約30分足らずで (現在はMRTのWoodlands駅下車で簡単に行けます) シンガポール国境の Woodlands (ウッドランド)に到着します、ここでバスを降り最初にシンガポール側の税関で出国審査を受け、その後緩衝地帯の橋を徒歩で約500mほど進むと国境境界ラインに到着します。                                                                                         この国境ラインを超えるとマレーシアに入国となります。                                                                    国境ラインは誰が見ても判るほどはっきりと区別できます。                                                        すなわち、道路舗装のグレード、舗装の色が違い、センターラインの白線の幅も異なり、金物類の塗装の状態も変わってきます、また、道路標識の看板も英語からマレー語に変わります。                                                                                                                               我々日本人はこの様な国境を歩いて渡る経験はあまりないので夢中で写真を撮りました。 (通常は国境での写真撮影は禁止されていますのでご注意下さい)                                                               この国境ラインを超えて約500m進むとマレーシア側の税関があり入国審査を受け無事マレーシア入国となります。                                                                                                          マレーシアのジョホールバルーはシンガポールに比べ風景がガラリと変わり、一番目に付いたのが緑の樹木が少なく何となく殺伐とした風景に変わります。                                                                         国が変わるとこの様に街の雰囲気も変わるものかと驚いた次第です。                                                          その後はゴルフなどで度々訪れるようになりこの風景にも馴れてきました。 

2006年9月17日 (日)

☆密輸常習者

 密輸常習者とは過激な題目ですが、これは私自身の懺悔録です。                                                                        前にも述べましたが、我々シンガポール駐在員はグリーンカードと呼ばれる入国カードを所持しています。                                                                                                               このグリーンカードを持っていると一時帰国の時成田での入国審査は非居住者のブースで入国審査を受けることが出来ます。                                                                                        また、手荷物検査もグリーンカード所持の日本人は殆どフリーパスで通してくれることが判り、それ以来悪いことを知りながらシンガポールで買った高級ブランデー、とびきり上等のOGビーフを冷凍したもの、南国の珍しいトロピカルフルーツなどを鞄の隅に忍ばせ密輸入していました。                                                                                                ある時など善良なる税関吏が私のパスポートを見て長い海外勤務ご苦労様ですとねぎらいの言葉までかけてくれ誠に申し訳なく痛み入っていました。                                                                            さて、この様な悪いことばかりではなく皆様に合法的な酒類の持ち込み方法を伝授しますと、高級ブランデー、ウイスキーなどを出発国の免税店で日本に持ち込める3本以上を購入し、飛行機の中で持ち込みオーバー分の酒類の栓を開封することです、一度開封すれば税金の対象にはなりません。                                                                                               私はこの方法をシンガポールの行き来で利用していました。                                                                   さて、このグリーンカードの特権?も成田国際空港でたまに行われる麻薬撲滅キャンペーン期間中に遭遇すると、東南アジアからの旅客は特に厳しく審査されていました。                                                                     このありがたいグリーンカードも海外勤務が終わり日本に帰る時には一般の観光客と同じホワイトカードになっています。                                                                                                 私の友人の奥様は日本に帰るとき高級な毛皮のコートを買い込み日本に持ち込もうとしたところ入国税関で見つかり、税関吏にこの毛皮のコートはむこうで着ていた物ですと釈明したがベテランの税関吏はパスポートを調べ何処も寒い国に駐在した記録が無いことでがっちり輸入税を取られたとのことです。                                                                                                     最後に動植物検疫検査無しで輸入できるものは魚、蟹、海老類です、この理由は海は世界中つながっている、これらの魚、蟹、海老類は海の中では海外から日本近海まで泳いでくることも出来るという理由らしい。                                                                                                            また、果物類で動植物検疫検査なしで持ち込めるのはかの有名なドリアンだけです、このドリアンが検疫検査なしで持ち込める理由は判りませんが匂いが強すぎて虫も寄りつかないためでしょうか?                                                                                              ドリアン以外の果物類は動植物検疫検査を受けても輸入禁止で税関内で没収されます。                                           シンガポール名物のランの花は泥根がついていない限り検疫検査を受け持ち込むことが出来ます。                                                                                               ランの花はシンガポールのお土産で喜ばれる物の一つでした。

2006年9月15日 (金)

☆南洋ボケ

 日本に帰国して私を一番悩ませる問題は何か仕事で失敗した場合に殆どの人が言う言葉があります「彼は南洋ボケである」と。                                                                                             ここで、東南アジアなどの海外勤務され【南洋ボケ】と言われたことのある人の誤解を解くために私の考えを述べてみたい。                                                                                              人間は年を取ると物事に対して忘れっぽくなるのは万人の認めることです。                                                                    そこで、何故、東南アジアで生活した人だけに【南洋ボケ】と差別して呼ばれるか考えてみました。                                                                                                                       私がシンガポールに赴任して5年近く過ぎた時、東京本社から国際電話が入り                                                                            「去年出張でシンガポールへ行かれた○○さんは何月に行かれたのか?」                                             という問い合わせがありました。                                                                                         この様な時、まず1年前のことも記憶にない、印象深かった人でも何月だったかなかなか思い出せない。                                                                                                                        これは一年中同じ気候で、食物も旬、シーズンが殆ど無いという東南アジアの生活によるものと思います。                                                                                                            日本では、記憶の中にあの人が来たのは暑い盛りだったとか、寒い雪の日だったとか、松茸の美味しい季節だったとか何か一所に記憶できる要素が必ずありますが、シンガポールではこの様な記憶の仕方は全く出来ません。                                                                               大事なことは一応ノートにメモしていますがとっさの時には返事が出来ない。                                                                       これを称して皆様は【南洋ボケ】といわれる。                                                                           このあたりの事情をご理解の上単なる【南洋ボケ】でないことをご理解下さい。

2006年9月13日 (水)

☆アポイントメント

 シンガポールでは施主の事務所、設計事務所等に行くときには単なる挨拶の時だけでも (シンガポールでは単なる挨拶だけの訪問はあまりありません) 前もって必ず【アポイントメント】を取り相手の都合を聞いて訪問するのが常識です。                                                                                 シンガポール赴任当初はこのことがよくわからず日本式に【アポイントメント】なしに親しくしてもらっている事務所に行くと必ず受付の女性が【アポイントメント】はあるかと聞き、いくら顔見知りでも【アポイントメント】が無いとなかなか取り次いでくれません。                                                                           最初はこの格式張った訪問が面倒で馴染めませんでしたが、いざ自分の立場になったとき合理的な制度であることが良く分かります。                                                                                                   忙しいときに【アポイントメント】なしで訪問され、単なる世間話につき合わされるのは迷惑です。                                                                                                               日本も会社の社長、役員を訪問するときには必ず【アポイントメント】を取る習慣はありますが、会社で働いている人全員にも【アポイントメント】取り訪問することを徹底させるべきでしょう。

2006年9月11日 (月)

☆ジョブ ホッピング

 英国統治時代の名残か、シンガポール人は気軽に転職します。                                                                殆どの人が2~3年で職を変え一つの会社に5年以上居る人はまれです。                                                                              我々終身雇用に馴れている中年以上の日本人にはこの制度が良いかどうかは判りませんが【ジョブ ホッピング】する人間はより高い給料を目指してこまめに職場を移動しています、最近の日本でも【ジョブ ホッピング】は一般的になってきましたが未だに諸外国のようには定着していません。                                                                                                             私の懇意にしているメーカー勤務のシンガポール人の友人は2,3年の内に3社もの会社を変わり、これが全て同業種のメーカーときているので彼に用事があり電話をしようと思い名刺を見ても今どこの会社に居るのか判断できず困ることがあります。                                                             やっと連絡が取れ今どこの会社に居るのかと聞いてみると又最初の会社に戻っていたというややこしい話がありました。                                                                                       考えるに、シンガポール人は会社と会社の付き合いにはあまり重点を置かず自分の実力、または、人間と人間の関係に重点を置いている様に見受けられます。                                                                   シンガポールに赴任して仕事をするにあたり各方面に電話をしても私本人が相手に信用されるまでは心を開いて付き合ってもらえません。                                                                                     日本の国内の様に、私は某一流企業の社員であるという顔でシンガポール人に接しても誰も相手にしてくれません、あくまで実力主義の世界です。

2006年9月 9日 (土)

☆過冷房

 シンガポールに初めて訪れる人に前もって必ず助言していることが一つあります。                                                       それは「シンガポールは寒いからお出でになるときには必ずセーターか長袖のシャツを持参してきてください」と言っています。                                                                                                          赤道直下のシンガポールへ行くのにこの様な助言をすると皆様不思議そうな顔をしてしげしげと私の顔をのぞき込みます。                                                                                                    その答えはシンガポールのレストラン、デパート、事務所、ホテルの部屋、自動車の中が全て過冷房になっていることです。 (自動車は過冷房のためフロントウインドウの外部側が結露していて時々雨も降っていないのにワイパーを作動させています)                                                                  ちなみに、事務所の平均冷房温度は23℃になっていてセーターを着ていても寒い、また、ホテルの部屋は毛布を掛けて寝ていても真夜中に寒さで目を覚ますことが度々あります。                                                                                                                    シンガポール人が何故この様に強い冷房が好きかと考えてみるに、寒い季節を知らないシンガポール人の【冬願望】のあらわれでないかと思います。                                                                                  この【冬願望】は台湾でも同じで、私が1月末のチャイニーズニューイヤーに訪れたとき、私は半袖で丁度快適な気温に感じていましたが、驚くことにお正月のせいでもあったためか、台湾人の女性は皆さん揃って手袋をはめ毛皮のコートを着て街を歩いている。                                                                我々ゼネコンの設計において省エネのためギリギリの温度条件で設計すると間違いなく欠陥建物と言われることでしょう。                                                                                               当時シンガポール政府は省エネのため冷房温度を24℃以下にに下げないことと通達を出していました、ちなみに、日本政府は28℃以下にしないよう通達しています。

2006年9月 7日 (木)

☆英語の勉強

 話がブログのプロローグに戻りますが、シンガポールに転勤するにあたり東京・四谷にある英会話学院に6ヶ月の国内留学で英語の基礎教育を受けてきました。                                                    私は英語などの文学系統が向いていなくて、工学系でしたら苦手の英語も勉強する必要が無いと思い工学系を専攻し、就職も技術系を選び現在に至っていますがどういう訳か一番苦手の英語の勉強をする羽目になりました。                                                                              この学院は Aクラスから Fクラスまであり1クラス8名から10名でクラス分けされていました。                                                                                                                            入学する前に簡単な入学試験がありそれに伴いクラス分けをされ、私はAクラスに配属されました。  (Aクラスが最低組で Fクラスが最優秀組)                                                                    その Aクラスでも一番の年長が私で他は殆ど学校を卒業して直ぐ派遣されてきたような若手が殆どで、出身会社も様々で私のようなゼネコンもいるし後は税関の役人、銀行員、商社員と多種様々な人の集まりでした。                                                                                            授業は朝9時より午後4時まででしたが若い人についていくために帰宅後毎晩深夜の1時頃まで予習、復習の連続が2ヶ月近く続きましたが、その後は半分予習、復習も諦め仲間と外人の先生を誘いお酒を飲みながら勉強?を続ける毎日でした。                                                                               この学院で一番つらかったのは卒業間近に箱根のホテルで開催される2泊3日のキャンプで AクラスからFクラスを均等に混ぜ10人前後のグループ討論会に出席することで、議題は模擬国際会議で各人が架空の国の大使を演じ討論する勉強会です。                                                                     我々の Aクラスと Fクラスは幼稚園児と大学院生ほどの差があり私の一生にとって一番の難行の人生でした。                                                                                      さて、シンガポール転勤後は又英語の苦労の連続で、あらためて現地の英会話教室に入学し勉強をしました。                                                                                              この教室の生徒は日本人は私一人で後は陽気なドイツ人のおばちゃん2人組、フランス人、中国人、韓国人、インド人の国際色豊かな教室で勉強していましたが、これも1ヶ月後にはイギリス人の30代の先生と個人契約をして教室外で勉強を始めることになり、契約条件は授業料としてホッカーズセンターで夕食を一食分ご馳走するという私に取っては安い条件で契約成立で、勉強といってもただビールを飲みながら世間話をするだけで、ずいぶん英会話の自信がついてきました。                                                                                         そのうち先生の友人もこのホッカーズセンターに集まるようになりイギリス人の友人も増え毎晩陽気に楽しく過ごすことが出ました。                                                                                               付き合う時間も増えるに従いお互いのフラットを訪問し合う仲となり、彼のフラットを訪問すると3LDKのフラットにお互いに関係ない人達がシェアーしながら生活をしているのに驚きました、一人の英国人のおばちゃんは自称占い師で、もう一人の若いヨーロッパ系の女性は学校の教師といった具合で、一人で住むよりも経済的な生活が出来ます。                                                            最近日本でもこの様なアパートのシェアーは聞きますが、私の知る限り殆どが同性同士のシェアーと思います、このあたりは日本人と考えが違うのが良く分かります。

 

2006年9月 5日 (火)

☆秘 書

 シンガポールに赴任して一番驚いたことは私みたいな若僧に Meary さんという優秀な秘書が付いたことです。                                                                                                   赴任当初は何をするにもさっぱり判らず、電話も満足に取れない状態でした。                                                           この私を助けてくれたのが秘書の Meary さんでした。                                                                      もちろん彼女は日本語は全く分からず私との会話は拙い英語のみでした。                                                                     赴任して半年あまりは設計事務所などに打ち合わせに行くときには必ず彼女を連れて行き、私の話したこと、相手の話したことを全て速記させ、難しい返事は全て後ほど回答すると言い、打ち合わせ後事務所に帰り先ほどの速記をタイプに打たせ、それを読んでよく理解した上で返事のレターを彼女にタイプさせていました。                                                                   また、最初の半年間は単身赴任だったため、シンガポールでは恒例のパーティー (支店長交代パーティーなど) は殆どが夫婦同伴のため Meary さんが家内の代理を務めてくれパーティーに出席していました。                                                                                             また、馴れて来るに従い業者の見積金額の値引き交渉まで彼女がやってくれるようになり、私が忙しいときにはこの様なカタログをそろえてくれと依頼しておくとメーカーに手配し必要なカタログを揃えてくれていました。                                                                              この様な優秀な秘書も仕事が暇になったら私にたいして、もっと仕事量を増やしてくれとクレームを付けてくる、日本の会社の OL の様にさぼることを知らないらしい。                                                                             この様にシンガポールの女性は自分の仕事に忠実であり、優秀でした。                                                            日本の会社にもこの様な優秀な人材がたくさんいると仕事の効率が上がり、しいては人件費の節約になると思うのですが・・・・・・

2006年9月 3日 (日)

☆Singlish と Can Can 英語(2)

 シンガポールで我が社のローカルスタッフに仕事を頼むとき                                                                                           「Can you help me ?」と頼むと直ちに                                                                                    「Can Can」と威勢の良い返事が返ってきます。                                                                                                            これは英語の文法に無い言葉ですが我々英語の下手な日本人には心地よく聞こえる、これがシンガポール名物の悪名高い?【 Singlish 】又は【 Can Can 英語】と呼ばれているものです。                                                                                                                      我々日本人スタッフはこの【 Singlish 】に馴れ、半分日本語交ざりで英単語だけの英語?を話しても我が社の優秀なるローカルスタッフは十分理解してくれます。                                                                   ただし、これも度が過ぎるととんだ誤解が起きるので注意が必要です。                                                              ある英語に馴れていない工事事務所所長が協力会社の番頭さんに電話で、この仕事は直ぐ出来るか?と聞くために日本語混じりの英語で                                                                                  「 Can soon か?」と聞いたところ                                                                                                   この番頭さんはこの英語を Cancel と勘違いし全ての手配を中止したという笑えない話がありました。

2006年9月 1日 (金)

☆Singlish と Can Can 英語(1)

 私は日本で【 English 】の勉強をしてシンガポールに赴任しましたが、在星中は見事な 【 Singlish (訛りの強いシンガポール英語のこと)】 を話していました。                                                                                                      私がシンガポールへ赴任して4年たった頃、東京本社から一流国立大学卒業でアメリカの大学に留学経験のある優秀な M 建築所長代理が転勤でシンガポールに赴任してきました。                                                                                                              私は彼と組んで入札業務をやることになっていました。                                                                                              ある日、設計事務所から打ち合わせがあるので事務所まで来て欲しいとの連絡があり、私も英語のベテランと打ち合わせに行くと言うことで(いつもは英語で苦労している毎日でした)気楽に新任の M 建築所長代理と出かけ打ち合わせにのぞんだところ、彼は打ち合わせ途中で時々トンチンカンな受け答えをしている、答えの内容はトンチンカンであるが彼の話している英語はアメリカ人並の素晴らしい英語である。                                                                           私も最初の内は不思議に思っていましたが、はたと気が付き、彼は相手の話している英語が分かっていないことに気が付きました、良く聞くと相手の設計事務所の先生は見事な【 Singlish 】を話している。                                                                                                                   ここで奇妙な通訳が始まりました、相手の先生が私に 【 Singlish 】 で話しかけてくる、私はこれを日本語に訳し M 建築所長代理に伝える、彼はこの返事を流ちょうな【 English 】で先生に返事をする、何とも奇妙な通訳を経験しました。                                                                               なお、彼の名誉のために言っておきますが、彼はその日から1ヶ月も経たない内に【 Singlish 】を完全にマスターしました。

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